ウィリアム・オッカム(William of Occam):新しい道

ドゥンス・スコトゥスによって普遍的な概念が「このもの性」として個物にも認められ、個物が哲学の対象に含まれるようになると、普遍論争の行方は一気に唯名論へと傾いていった。
その唯名論を究極まで押し進めたのが、イングランド出身のフランシスコ会修道士ウィリアム・オッカム(1285頃〜1347/49)である。(※1)

ウィリアム・オッカムによれば、個物同士にはあらかじめ与えられた共通点など何もなく、ドゥンス・スコトゥスが唱えたような「このもの性」すらない。
人間にできるのは、ただ個物を個別に知覚する直観的な認識だけである。
それでは、なぜ人間は、個物のあいだに“木”や“花”といった共通項(種)を見出すことができるのか?

今、目の前に1本の木があるとすると、それを見た人は“ここに1本の細長く高い植物がある”と認識し、その認識が「習得知」という観念として残る。
その人が、また別の場所で別の木を目にすると、“ここにも1本の細長く高い植物がある”と認識するが、このとき「習得知」の観念と類似していることを見出して、両者に共通した“木”という普遍的な概念が形成される。
つまり、人間は、あらかじめ存在する“木”という普遍的な概念によって目の前の木を“木である”と認識するのではなく、あくまでも複数の「習得知」に見出される共通項に“木”という名前を与えているにすぎないのである。

このように考えたウィリアム・オッカムにとって、これまで普遍的な概念と呼ばれてきたものは、プラトンのイデアやアリストテレスの形相などのような存在では決してなく、ただ人間の認識作用における記号にすぎないのであった。
そして、中世哲学の末期に唱えられたこうした新しい思潮は、従来のスコラ哲学=「旧(ふる)い道」に対して「新しい道」と呼ばれた。

(※1)オッカムとは、もともと彼が生まれた村の名前で、その名がそのまま彼の名前となった。そのため、「オッカムのウィリアム」とも呼ばれる。

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