トマス・アクィナス(Thomas Aquinas):『対異教徒大全』

トマス・アクィナスの著作の1つに、『異教徒を論駁(ろんばく)する大全』(『対異教徒大全』:スンマ・コントラ・ジエンティレス)がある。
この『対異教徒大全』は、トマス・アクィナスの哲学を理解するうえで『神学大全』と同じくらい重要な著作だと位置づけられる。
以下に、そのポイントについて紹介していく。

『異教徒を論駁(ろんばく)する大全』(『対異教徒大全』)は、その書名が示すように、異教徒(イスラームなど)を論破し、改宗させる目的で著されたと言われている。
しかし、本書の目的はそれだけではなく、「自然の光」=理性によってキリスト教の教義を考察しなおす点にもあった。
そして、その考察のプロセスにおいて、トマス・アクィナスは、豊かな知的営みを展開しているのである。

第1巻

トマス・アクィナスは『対異教徒大全』の第1巻において、神をテーマにしている。
そして、神について考察するにあたって、まず、知恵を取り上げる。
たとえば、何かをつくるとき、その何かをつくる方法を知っていなければつくることができない。
つまり、何かをつくるには、目的にいたる手段を知っていることが必要である。
ここから、知るということは、目的と手段の連関において事象を捉えることだと言える。
目的と手段の連関において事象を捉える対象のうち最大のものは、宇宙である。
それゆえ、知恵の探究の究極は、宇宙の秩序を探究することを通して、万物を知恵をもって創造した神に近づくということになる。

トマス・アクィナスは、別の箇所で、理性を取り上げる。
自分はカトリックの教義を明確にするという目的を「自然の光」=理性によって進める。
なぜなら、異教徒たちは、聖書の権威を認めないため、聖書の権威によって論を進めることができないからである。
しかし、理性によって論証できることには限界がある。
つまり、理性は、神の存在や魂の不死を論証することはできても、三位一体や受肉、最後の審判は論証できない。
理性は有限であるが、しかし、理性は神の恩寵によって完成される。

ちなみに、トマス・アクィナスによれば、神の本質は、理性によっては否定を通してしか知ることができないという。
たとえば、神が永遠であるのは神が動かされ“ない”からである、神が不変であるのは神が可能性を含んで“いない”からである……というようにである。

第2巻

『対異教徒大全』の第2巻のテーマは、人間の魂である。
トマス・アクィナスによれば、魂は肉体の「形相」である。
そして、魂は、肉体とともに、神によって常に息を吹き込まれている=新しく創造されているとされる。
つまり、神は、歴史を通じて常に創造している存在なのだとトマス・アクィナスは考えたと言える。

第3巻

『対異教徒大全』の第3巻のテーマは、倫理である。
トマス・アクィナスによれば、人間の幸福は肉体的な快楽や名誉などを求めることにあるのではもちろんないが、徳にかなう行為すらも実は究極の幸福ではないという。
徳にかなう行為は、神にいたるための手段にすぎない。
真の幸福は、神を「観想」することにある。
しかし、神の観想は、この世において果たすことはできない。
神の御許(みもと)へ行かなければ果たすことができないとされた。
つまり、トマス・アクィナスは、永遠の生命を得なければ真の幸福は求められないと考えたと言える。

トマス・アクィナスは、続く第4巻において、啓示がなければ幸福はありえないとし、三位一体論や受肉、秘蹟(ひせき)、復活といった神学上の問題を論じている。

このように、トマス・アクィナスは、哲学によってキリスト教の教義を再考したのであった。

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