トマス・アクィナス(Thomas Aquinas):存在の類比

トマス・アクィナスは、神が存在することを哲学的に“証明”したが、神の存在のしかたは、人間や個物が存在するしかたとは異なると考えた。
つまり、被造物に対して“存在する”というときの存在と、神に対して“存在する”というときの存在では、同じ“存在”という言葉を使ってはいても、存在のあり方が異なると考えたのである。(※1)
そこで、トマス・アクィナスは、人間や個物の存在と神の存在との関係を「類比」の関係を通して明らかにしようとした。

たとえば、椅子(いす)を例に挙げると、床や地面に安定して接地させるために下方へ伸ばされた(ふつうは4本の)細長い支柱を“椅子の脚”と言うが、これは、人間や動物の脚と完全に同じ意味で使われているわけではない。
あくまでも、人間や動物の脚と身体の関係を、椅子の支柱と本体の関係へ“類比的に”当てはめて表現しているにすぎない。

これと同じことが存在についても言えると、トマス・アクィナスは考えた。
つまり、われわれが神について考えるとき、人間の本質と存在の関係を、神の本質と存在の関係に“類比的に”当てはめているのである。

もっとも、神は、人間が存在するように存在しているわけではない。
人間は神の被造物で有限なのであるから、神の本質(※2)は人間の本質と存在を合わせたものより大きく、神の存在は人間や個物という存在にくらべてはるかに巨大なはずである。(※3)
こうしたトマス・アクィナスの考え方を「存在の類比」と呼ぶ。

(※1)こうした考え方は“存在”という言葉に複数の意味を与えることとなり、のちに見るドゥンス・スコトゥスによって批判された。
(※2)トマス・アクィナスは、神を「存在することをその本質とするもの」と表現し、人間や個物のように本質と存在を区別できないものとした。
(※3)こうした考え方は、神が感覚によってはもちろんのこと、思考(知性)によっても認識できないという結論を導き、のちに見るドゥンス・スコトゥスによる批判を受けた。

◀︎ トマス・アクィナス:神の存在証明
トマス・アクィナス:『対異教徒大全』 ▶︎

【西洋哲学史のキホン:目次】