プラトン(Plato):善のイデア

プラトンは、世界が「イデア界」と「生成界」から構成されていると考えたが、それでは、「イデア界」に存在する「イデア」と「生成界」の個物は、どういう関係にあるのだろうか?

プラトンの考えに従えば、たとえば人が(「生成界」の)花を見て“美しい”と感じるのは、(「生成界」の)花が「イデア界」に存在する「美そのもの」=美のイデアを「与(あずか)っている」からだとされる。
つまり、花は美のイデアを「分有」しているのであり、「美そのもの」を内に持っているから、人は花を見て“美しい”と感じるのである。
これと同じように、人が花を見て“花だ”と判断できるのも、花が「イデア界」に存在する“花そのもの”=花のイデアを「分有」しているからである。

花や木、犬といった「生成界」の個物は、「イデア」の模倣である。
「イデア」がオリジナル(原型)だとすると、個物は、それがどんなにオリジナルにそっくりであったとしても、コピー(模写)にしかすぎない。
そのため、本来の居場所である「イデア界」から離れて「生成界」のなかをさまよっている魂は、「イデア」に恋し、思い焦(こ)がれる。
このような、「イデア」に恋あこがれる魂のあり方を、プラトンは「エロース」と呼んだ。

ところで、「イデア界」に存在する「イデア」は、それぞれが独立しているが、そこには秩序がある。
プラトンによれば、「イデア」を秩序づける原理となっているのは、「善」(アガトン)である。
つまり、「善」は、「イデアのなかのイデア」=「善のイデア」として「イデア界」に秩序をもたらす最高の存在なのである。
国家』においては、「善のイデア」を学習することは、最高存在を想起することであり、人間にとっての最高の目的だという意味で、「最大の学習」と呼ばれている。

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