ライプニッツ(Leibniz):モナド

デカルトは、精神と物体(身体)という実体を規定したが、両者がどのように関連するのかという難問=心身問題を残した。
スピノザは、デカルトの実体概念をさらに押し進め、実体と呼べるものは無限な神だけであり、精神と物体(身体)は神において関連していると唱え、心身問題を克服しようとした。
しかし、実体を1つだとすると、今度は、世界の多様性を説明しにくくなる。

こうした課題を克服しようとしたのが、ドイツの哲学者ライプニッツ(1646〜1716)である。
スピノザは、唯一にしてすべてである神こそが実体であるとしたが、これに対してライプニッツは、すべては無数にある極小の実体から成り立っていると考えたのである。

古代エジプトや古代ギリシアで発達したユークリッド幾何学においては、線は横に運動すると面になり、面を逆方向に縮小させると線になると考える。
つまり、面は、線の集合体なのである。
しかし、ライプニッツは、面を縮小させていっても線に還元させることはできず、あくまでも無限小の面になると考えた。
これは、面をどんなに分割していっても同じことで、決して消滅してしまうことなく、面としての性質を保ちつつ、それ以上は分けられない無限小の面になるということである。
ライプニッツは、こうした考え方を世界(宇宙)の説明にも採用し、ある性質を持ち、それ以上決して分割することができない極小の実体が存在すると想定した。
これが「モナド」である。

ライプニッツの著作『モナドロジー』によれば、「モナド」は、無数に存在し、世界や宇宙のすべてのものを成り立たせている“点”のような存在である。
しかし、「モナド」は、原子(アトム)のような空間的な存在ではなく、非空間的・非物質的な存在であり、むしろ精神的な存在に近く、自身の性質を持っているという。
しかも、1つの「モナド」は、他の「モナド」とは一切影響しあわず(「モナドには窓がない」)、独立している。(※1)

このように「モナド」は、自身の内に一切の性質や可能性を含み込んでおり、そのため、世界や宇宙における変化や運動による多様性は、すべて「モナド」の内部から「表象」としてもたらされる。
こうした側面を捉えて、ライプニッツは、“「モナド」は、宇宙全体を反映する「欲求」を持ち、過去の記憶を含みつつ、新たに多様な世界を映し出す(「表象する」)「宇宙の生きた鏡」である”と述べている。

さらに、ライプニッツによれば、「モナド」には1つとして同じものはなく、それぞれの「モナド」はそれぞれに宇宙を映し出すという。
そして、「モナド」には表象の程度によって序列があり、無意識的な「微少表象」をするモナドは「真裸の単子」(物質)、知覚や記憶を持つモナドは「魂」(動物の心)、反省によって自我意識を持ち、抽象的な概念を理解するモナドは「精神」だと考えられた。

(※1)ライプニッツは、このことを『モナドロジー』のなかで、「モナドは、そこを通って、あるものが出入りする窓を持たない」と表現している。

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