カント(Kant):素質としての形而上学

カント:空間と時間」と「カント:純粋悟性概念」において、人間の認識は直観と悟性の2つの段階を経るとカントが考えたことを紹介したが、カントによれば、人間には、この2つの段階をさらに越えていこうとする衝動があるのだという。
この衝動にまつわる問題は、カント自身によって「素質としての形而上学」と呼ばれ、『純粋理性批判』の「超越論的弁証論」において論じられている。

「素質としての形而上学」を担うのは、「理性」(正確には「理論理性」)である。
「理性」(「理論理性」)とは、“経験された世界を越えて推理(推論)する能力”である。
この理性は、次の3つの形而上学的問いにおいて働くのだという。

(1)合理的心理学:魂とは何か?
(2)合理的宇宙論:宇宙とはどのようなものなのか?
(3)合理的神学:神の存在を証明することはできるのか?

しかし、魂や宇宙や神は、どれも経験を越えた対象であるため、理性がこれらについて説明しようとすると、必ず根拠を欠いた独断=「誤謬推理」(ごびゅうすいり)に陥ってしまう。
その例が、「カント:理性の限界」において紹介したアンチノミー(二律背反)である。
アンチノミーは、(2)の合理的宇宙論において扱われている。

以上のように、カントは、直観と悟性を経たア・プリオリな総合判断においては普遍的な認識が成り立つが、理性がそれを超えて推理(推論)する段階になると普遍的な認識は成り立たなくなることを示し、理性の限界を厳格に定めた。
カントは、理性の正当な対象である経験可能な世界を「現象界」と呼び、一方、経験不可能ではあるが存在を否定できない「物自体」が属する世界を「英知界」(「叡智界」)と呼んだが、それでは、人間は理性によって英知界に関わることができないのであれば、どのように関わればよいのかという疑問が生じる。
この疑問に答えたのが、『実践理性批判』である。

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