カント(Kant):純粋悟性概念

直観を通して受け取られた意識内容は、次に概念をつくりあげるための材料となる。
この概念化の段階について論じられているのが、『純粋理性批判』における「超越論的論理学」である。

「超越論的論理学」では、まず「超越論的分析論」が述べられる。
「超越論的分析論」は、空間と時間という直観形式を通して受け取られた意識内容を認識としてまとめあげる機能=「悟性」に関する議論である。

カントによれば、悟性は、直観が受動的な働きであったのに対して、意識の能動的な働きである。
そして、悟性には、“○○は××である”という主語と述語の言語形式=「判断」の能力がア・プリオリに備わっており、悟性はこの「判断」によって思惟するのだとされた。
その判断のパターンを表したのが、「判断表」と「カテゴリー表」である。
そして、判断表とカテゴリ表に示された形式は、「純粋悟性概念」と呼ばれる。

【判断表】
(1)量
  全称的:すべての○○は××である
  特称的:いくつかの○○は××である
  単称的:1つの○○は××である
(2)質
  肯定的:○○は××である
  否定的:○○は××ではない(例:リンゴは黒くない)
  無限的:○○は××とは違う(例:リンゴはミカンとは違い、ブドウとも違い、イチゴとも違い、……)
(3)関係
  定言的:○○は必ず××である
  仮言的:○○は△△ならば××である
  選言的:○○は□□か、または××である
(4)様相
  蓋然的:○○は××かもしれない
  実然的:○○は××である
  必然的:○○は××であるにちがいない

上記の判断表から、さらに「カテゴリー表」が導かれる。

【カテゴリー表】
(1)量
  単一性
  数多性
  全体性
(2)質
  実在性
  否定性
  制限性
(3)関係
  属性と実体
  因果性と依存性
  相互性
(4)様相
  可能性—不可能性
  存在性—非存在性
  必然性—偶然性

判断表とカテゴリー表は、1対1の関係にあるのが特徴である。
たとえば、判断表の「関係」における「仮言的」は、カテゴリー表の「関係」における「因果性—依存性」に対応している。
つまり、“石は太陽に照らされると暖かくなる”という仮言的な判断が下された場合、それだけでは経験だけにもとづく判断の域を出ないが、この判断がさらにカテゴリーの段階に進むと、“太陽が原因となって石を暖めるという結果をもたらす”=“太陽は石を暖める”という因果関係をふまえた「ア・プリオリな総合判断」になるということである。

また、カントによれば、直観を通して受け取られたさまざまな意識内容を統一し、判断とカテゴリーによって総合判断が成立するプロセスそのものは、「超越論的統覚」(「純粋統覚」)によって支えられているという。
そして、「超越論的統覚」とは、“対象を認識している自分自身がいる”という「自我同一性」の意識と同義である。
なぜなら、もしも自我同一性の意識がなければ、次々と受け取られる知覚内容がバラバラなままで、統一的な判断を下すことができなくなってしまうからである。

このようにしてカントは、空間と時間というア・プリオリな直観の形式によって受け取られた意識内容が、判断表とカテゴリー表において表されるような、これまたア・プリオリな悟性の形式によって総合判断へといたるプロセスを示した。
また、こうした判断のプロセスにおいては、自我同一性の意識が必要であることを主張した。
このことによって、普遍的な認識が成立する根拠を示すとともに、因果性と同一性を否定したヒュームを批判したのであった。

認識のあり方は生まれつきの認識の形式によって決まると唱えたカントの哲学は、対象を正確に認識するというスタンスをとり続けてきた従来の哲学とくらべると、画期的であった。
カント自身は、このことを「認識が対象に従うのではなく、対象のほうがわれわれの認識に従わなければならない」と述べ、天動説に対して地動説を唱えた天文学者にちなみ、みずからの考え方を「コペルニクス的転回」と呼んだ。

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