ヘーゲル(Hegel):弁証法

ヘーゲルが言う「弁証法」とは、“有限者としての絶対者が摂理に沿って目的へ向けて自己を実現していく”あり方を考察するなかで見出したプロセスである。
そしてヘーゲルは、絶対者の自己実現としての認識活動と存在のあり方のそれぞれの展開を、弁証法と呼ばれるプロセスとして描いた。

認識の弁証法

人は何かを認識するとき、まず、ある1つの立場を肯定する。
しかし、その立場は、決して絶対ではない。
なぜなら、すべてを説明しつくせる立場などないからである。
そのため、その立場の矛盾を突く立場が必ず現れる(もしくは、みずから気づく)。
すると、議論が起きる。
その結果、両者の立場を考慮しつつも両者の対立を超えた第3の立場に議論は落ち着く。
たとえば、(1)「バナナは青い」と主張する人がいたとする。
すると、(2)「いや、バナナは黄色い」と反論する人が現れる。
そして、議論の末、(3)「バナナは、最初は青いが、熟すと黄色くなる」という見解に落ち着く。
このとき、(1)の段階を「テーゼ」(「正」「定立」「即自的」)、(2)の段階を「アンチテーゼ」(「反」「反定立」「対自的」)、(3)の段階を「ジンテーゼ」(「合」「綜合定立」「即自対自的」)と言う。
また、(1)と(2)の核心は「保存」しながら、両者の立場を離れて新しい立場へ“高まる”ことを「アウフヘーベン」(「止揚」「揚棄」)と言う。
こうして、アウフヘーベンされた立場は、ふたたび1つの立場になる。
すると、その立場の矛盾を突く立場が現れ、両者をアウフヘーベンする立場へと高まっていく……。
こうした弁証法のプロセスは何度も繰り返され、ついには、絶対者の「絶対精神」を捉える「絶対知」へいたるとヘーゲルは考えたのである。

存在の弁証法

ヘーゲルは、存在のあり方の展開も、弁証法のプロセスとして描いている。
たとえば、ここに1つの植物の種子があったとする(正)。
すると、その種子はやがて殻が破れ、中から芽が出てくる。
これは、芽が種子を否定したと捉えることができる(反)。
そして、芽は成長していき、ついには茎や葉、花になる。
これは、芽が自己を否定することによって茎、葉、花になると捉えることができる(合)。
そして、茎や葉、花は、やがて枯れ果て、ふたたび種子となる。
これは、茎や葉、花が自己を否定し、種子になったと捉えることができる。
重要なのは、植物におけるこうしたプロセスのうちのある段階だけを取り出して“これが植物だ”とは言えないということである。
“植物”とは、これらのプロセス全体を指している。
つまり、存在も、認識と同じように、弁証法というプロセスを通して全体(絶対者)を現し出すとヘーゲルは考えたのである。

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