ドゥンス・スコトゥス(Duns Scotus):存在の一義性

トマス・アクィナスによってアリストテレスの哲学を援用したスコラ哲学は体系化されたが、トマス・アクィナスの死後、その哲学を批判する者たちが現れる。
その1人が、ドゥンス・スコトゥスであった。

フランシスコ会の修道士であったドゥンス・スコトゥス(1265/66〜1308)は、まず、神を認識することに対するトマス・アクィナスの考え方に異議を唱えた。
トマス・アクィナスによれば、人間の認識は経験を通して得られる材料にもとづいており、神を認識することも経験にもとづくとされる。
しかし、人間の認識は有限であるため、それでは完全な存在である神を認識することはできない。
そこでドゥンス・スコトゥスは、この問題を克服するために、人間の感覚的な認識について見直すことから始めた。

たとえば、一歩家の外に出れば、さまざまな木や花を目にすることができるが、われわれはどうして、木や花を見て、それが木や花だと認識することができるのか?
それは、木や花をたんに視覚的に認識しているだけではなく、“木一般”“花一般”という普遍的な概念をも認識しているからではないか?
そうでなければ、木を見ても、たんに緑色の葉や茶色い幹の集合体にしか見えないし、花を見ても、色とりどりの花びらと茎(くき)の集合体ぐらいにしか見えないはずだ。
ということは、人が感覚によって認識するとき、すでにそこに普遍的な概念が備わっているのである。
普遍的な概念は言葉や思考(知性)の力によってもたらされるのであるが、数ある普遍的な概念のうちで頂点に君臨するのは“存在”の概念である。
つまり、“存在”の概念においては、木も花も人間も神も同じように(一義的に)認識することができるのである。
これが、ドゥンス・スコトゥスにおける「存在の一義性」である。

こうして、ドゥンス・スコトゥスは、トマス・アクィナスによって別種の“存在”だとされた神と被造物とを同列の“存在”にし、人間が神を認識する道を拓いたのであった。

◀︎ トマス・アクィナス:『対異教徒大全』
ドゥンス・スコトゥス:このもの性 ▶︎

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