デカルト(Descartes):生涯と著作

中世哲学の末期において、ウィリアム・オッカムは、信仰(神学)と理性(哲学)を完全に分離し、理性(哲学)の対象を目の前に存在する個物に限定した。
その結果、物理学や天文学といった新しい学問=自然科学が、哲学のなかから発達した。
この自然科学の目的は、数学的な秩序を持つ(と信じられていた)自然の法則を理性によって解明し、永遠不変の世界像を言い当てることにあった。

これに対して哲学は、自然科学を基礎づけるために、“人間の認識(主観)は自然や世界という対象(客観)といかに一致するか”について探究する役割を負うこととなる。
これは、哲学の“出発点”を、神から、人間の認識、主観、理性、精神という言葉で呼べるものへ置き換えるということであった。
その本格的な第一歩となったのが、デカルトの哲学である。

デカルト(1596〜1650)は、フランス生まれで、10〜18歳までイエズス会のラ・フレーシュ学院で学んだ。
この学校は、自然科学の導入に積極的であったが、その一方でカトリック信仰にもとづき、スコラ哲学もカリキュラムのなかに採り入れていた。
しかし、数学が得意であったデカルトにとって、スコラ哲学やキリスト教神学は厳密さがなく、不確実であった。
そこでデカルトは、学院を卒業後、“読む書物”を捨て、「世間という大きな書物」のなかへ飛び込み、さまざまな体験をするが、このことが、哲学史に大きなインパクトを与える“新しい哲学”を生み出す原動力となったのである。

デカルトが唱えた哲学は、みずからが著した著作のなかに如実に示されている。
1637年に『方法序説』、1641年に『省察』、1644年に『哲学原理』、1649年に『情念論』と、40歳を過ぎてからの公刊が続いた。
これらの著作はどれも、現代においても重要な哲学書として読み継がれている。

デカルトは、その哲学的な功績と評判のために、晩年、スウェーデン女王クリスティーナから招かれ、家庭教師を務めたが、スウェーデン滞在半年にして肺炎がきっかけで、この世を去った。

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