アリストテレス(Aristoteles):イデア論批判

アリストテレスは、アカデメイア時代に著した『哲学について』において、すでにプラトンのイデア論を批判したが、その後に著した主著『形而上学』(メタフィジカ)第1巻の第9章において、本格的にイデア論を批判した。

すでに「プラトン:イデア論」や「プラトン:善のイデア」において見たように、プラトンは、感覚によって捉えられる個物とは「離れて」、感覚を超えた永遠不変な「イデア」を想定し、個物は「イデア」のコピー(模写)であり、「イデア」こそが真に存在するオリジナル(原型)であると考えた。
つまり、プラトンの考え方によれば、「生成界」における個々の人間、個々の机、個々の三角形とは「離れて」、「イデア界」には、それらの原型となる人間一般、机一般、三角形一般が存在する。
これに対して、アリストテレスは、そうした個物と「離れて」、「イデア」がそれだけで存在すると考えるのは不合理であると批判した。

アリストテレスは、この不合理さを、たとえば、主語と述語の関係において説明している。
“ソクラテスは人間である”“カリアスは人間である”“ペリクレスは人間である”と言う場合、ソクラテスやカリアス、ペリクレスは主語で、人間は共通の述語になる。
プラトンの考え方によれば、「イデア」=述語はそれだけで存在するのだから、「生成界」の個々の人間とは「離れて」、「イデア」=述語としての人間が「イデア界」に“すでに”存在していることになる。
ということは、ソクラテスやカリアス、ペリクレスといった1人1人の人間が「生成界」にまったくいないとしても、「イデア」=述語としての人間は存在することになる。
しかも、「イデア」=述語が個物とは「離れて」存在するのであれば、“老衰”や“消滅”といった非価値的・否定的な述語についても、それらの「イデア」が存在しなければならないし、その他さまざまなことについて無数の「イデア」が存在すると言わなければいけなくなる。

アリストテレスは、この他にも、イデア論では、生成、消滅、変化、運動といった現象や、個物と「イデア」の関係を充分に説明することができないなど、いくつかの観点からイデア論を批判している。
その批判の要点は、「イデア」=述語が個物と「離れて」存在するという点に集約されるが、このイデア論批判が、アリストテレス独自の哲学へと発展していくのである。

◀︎ アリストテレス:プラトンからの影響
アリストテレス:実体論 ▶︎

【西洋哲学史のキホン:目次】