【功利主義】シジウィック(Sidgwick):実践理性の二元性

シジウィックは、「【功利主義】シジウィック:『倫理学の諸方法』」で紹介したように、「倫理的利己主義」(利己的快楽主義)「直観主義」(直覚主義)「普遍的快楽主義」(功利主義)という3つの方法を比較検討した。
その結果、特定の価値観に縛られることなく、社会全体の幸福=「一般幸福」という大きな理念の実現をめざし、また科学的で客観的な原理である「普遍的快楽主義」(功利主義)こそがもっとも有力な倫理学の考え方だとみなした。

しかし、その一方で、シジウィックは、個人の幸福の追求と社会の幸福の実現とが一致しない場合、それをどう考えるべきかという問題に突き当たった。
ミルは、利他的に行為しようとする人間性を発達させることによって、個人の幸福の追求と社会の幸福の実現とは一致しうると考えた。
しかし、シジウィックは、そうしたミルの考え方に同意できなかった。
なぜなら、自己犠牲を正当化し、義務化してしまうからである。
〝他人や社会のために何かをすべきである〟という考え方自体は悪いわけではないし、合理的な場合がある。
しかし、個人の幸福の追求(利己心)と社会の幸福の実現(義務)とが一致しないとき、人は個人の幸福のほうを選択することがある。
そして、そうした選択も合理的な場合がある。
このように考えた結果、シジウィックが出した概念が「実践理性の二元性」であった。
これは、利己心と義務が衝突する場合、実践理性は分断され、どちらにつくこともしないという考え方である。
つまり、シジウィックは、功利主義の立場をとろうとしたのだが、実は「倫理的利己主義」(利己的快楽主義)にも合理性を認めたために捨て去ることができず、両者を折衷しようとしたのであった。

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