指令主義(prescriptivism)

指令主義」とは、〝〜すべきである〟〝〜は善い〟という道徳的な判断は、たんに事実を言い表しているのではなく、聞き手に対してある特定の状況を実現させようと命令=指令していると考える立場である。
イギリスの哲学者・倫理学者であったリチャード・マーヴィン・ヘア(Richard Mervyn Hare、1919-2002)が唱えた。

ヘアによると、道徳の言葉の働きは、話し手の感情や態度を表すことではない。
聞き手の感情や態度を変えることでもない。
聞き手に、ある行為をするよう命令する=指令することだという。
たとえば、AさんがBさんに〝人には親切にすべきである〟と言って、Bさんがそれを受け入れたならば、Bさんは〝人には親切にしなさい〟というAさんの命令=指令を受け入れたことになるのである。
あるいは、AさんがBさんに対して〝ゴミ拾いは善い〟と言ったとき、〝ゴミ拾いは街中をきれいにする〟という「記述的意味」を含むが、それだけではなく、〝ゴミ拾いは街中をきれいにする。だから、あなたもやったほうが善い〟という「指令的意味」も含むのである。

さらに、ヘアによれば、〝〜すべきである〟〝〜は善い〟という道徳的な判断においては、同じ状況が再来すれば、ふたたび同じ判断を下すことが求められる。
道徳的な判断におけるこうした特徴を「普遍化可能性」と呼ぶ。
たとえば、AさんがBさんに、ある状況において〝ウソをついてはいけない〟と言ったとしたら、まるで同じような状況になったとき、今度は〝ウソをついてもよい〟というのは矛盾している。
また、ある状況においてAさんがBさんに対して〝ウソをついてはいけない〟と言ったのに、その同じ状況で自分にはウソをつくことを許すとしたら、これも矛盾している。
道徳的な判断において、そうした矛盾は許されないのである。

ヘアは、道徳的な問題について意見が一致しないとき、「普遍化可能性」によって意見を一致させることができると考えた。
そして、こうした自分の立場を「普遍的指令主義」と呼んだのであった。

ところで、前のページで紹介した「情動主義」は、道徳的な判断というのは、その判断をする者の感情や態度を〝表している〟と考えるのであった。
一方、「指令主義」は、道徳的な判断というのは、聞き手へ命令する=聞き手へ命令を〝表している〟と考えるのであった。
このように、どちらの立場にも〝表している〟という共通項があることから、「情動主義」と「指令主義」は併せて「表出主義」と呼ばれている。

※関連ページ:「【功利主義】ヘア:選好功利主義

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