自然主義(naturalism)と非自然主義(non-naturalism)

認知主義」とは、前のページで紹介したように、〝価値〟に関する判断=道徳的な判断は〝事実〟に関する判断でもあると考える立場である。
この「認知主義」は、さらに「自然主義」と「非自然主義」に分けられる。

自然主義

「自然主義」においては、道徳的な判断の対象となるのは〝道徳的な事実〟であり、さらに、その事実は自然科学の対象となりうるような事実だと考える。
「自然科学の対象となりうるような事実」とは、たとえば快楽や進化である。
つまり、〝快楽=善〟〝進化=善〟と考えるのである。
こうした〝道徳的な事実〟は、人間の本性に根づいた自然な事実であるという。
よって、「自然主義」における道徳的な判断とは、こうした事実について記述することなのである。
ちなみに、〝快楽=善〟とみなすのが「功利主義」、〝進化=善〟とみなすのが「進化倫理学」である。

非自然主義

「非自然主義」においては、道徳的な判断の対象となる〝道徳的な事実〟は、快楽や進化のような自然の性質には還元できないと考える。
この立場の代表であるイギリスの哲学者ジョージ・エドワード・ムーア(George Edward Moore、1873-1958)は、『倫理学原理』という著作のなかで、善の定義について言及するなかで、「自然主義」を批判した。
ムーアによれば、善は定義しようとしても、それ以上分析することができない「単純概念」であるため、定義できないという。
無理に定義しようとしても、〝善いもの〟の具体例のリストが増えるだけである。
つまり、善とは、ただ〝善いもの〟と言うことしかできないものだという。
なぜか?
それは、善が自然の性質を持たない〝非自然的な概念〟だからである。
それなのに、「自然主義」の倫理学は、善には何か自然の性質が備わるものだと考え、善をその自然の性質に還元して定義しようとする誤りを犯していたという。
この誤りのことをムーアは、「自然主義的誤謬」と呼び、「自然主義的誤謬」を避けることが倫理学にとって大切なことだと唱えたのである。

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