認知主義(cognitivism)と非認知主義(non-cognitivism)

規範倫理学において問題とされてきたのは、〝道徳的な判断は、どのようにして下されるのか?〟であった。
しかし、20世紀になると、〝道徳的な判断とは、そもそもどのような判断なのか?〟という問題が新たに考えられるようになった。
こうした問題を扱うのが「メタ倫理学」である。(※)

道徳的な判断というのは、「〜するのが善い」「〜するのが正しい」という規範にもとづいている。
つまり、道徳的な判断は、〝善い〟とか〝正しい〟という〝道徳の言葉〟=「道徳言語」によって形づくられている。
メタ倫理学においては、この「道徳言語」がどのような性質のものなのかということが問題とされるのである。

たとえば、「人に親切にするのは善い」という文章について考えてみよう。
この文章は、「東京のど真ん中に皇居がある」という文章とは明らかに性質が異なる。
「東京のど真ん中に皇居がある」という文章は〝事実〟を言い表している。
しかし、「人に親切にするのは善い」という文章は〝事実〟を言い表しているのではない。
〝価値〟を言い表している。
つまり、道徳的な判断とは、〝事実〟に関する判断ではなく、〝価値〟に関する判断だと言うことができる。

ここで問題になるのが、事実と価値の関係である。
事実と価値は明確に区別することができるものなのか?

18世紀のイギリスの哲学者ヒュームは、それまでの哲学者が道徳について語るとき、「〜である」(is)という事実から「〜であるべきだ」(ought)という価値(規範)を導き出していることを指摘し、事実から価値をじかに演繹(えんえき)するのは「誤謬推理」だと断じた(「ヒュームの法則」「Is-Oughtの法則」)。
事実と価値は次元が異なるというわけだ。
この立場に立てば、事実に関する判断と価値に関する判断はまるで異なる。
これに対して、事実の認識には、ある一定の価値観が反映されており、価値と無関係な事実などない、だから事実から価値を導くこともできるという反論が唱えられた。
事実と価値はリンクしているというわけだ。
この立場に立てば、価値に関する判断は、同時に事実に関する判断でもある。

事実に関する判断と価値に関する判断は別個だと考える立場を「非認知主義」と呼ぶ。
一方、価値に関する判断は同時に事実に関する判断でもあると考える立場を「認知主義」と呼ぶ。
以下、両者の考え方について、「認知主義」「非認知主義」の順に紹介していこう。

(※)なぜ「メタ倫理学」と呼ばれるのかについては、「倫理学の区分」を参照のこと

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