【功利主義】ベンサム(Bentham):最大多数の最大幸福

【功利主義】ベンサム:快楽計算」で紹介したように、〝正しく善い行為〟とは、「快楽計算」によって快の量がもっとも多い行為のことであった。
それでは、以下のようなケースは、どのように判断すればよいだろうか?

今、あなたの前に、行為Cと行為Dの2つの選択肢があるとする。
行為Cは、「快楽計算」によって導き出される快の量は行為Dよりも多いが、その快がもたらされるのは自分だけである。
一方の行為Dは、快の量は行為Cよりも少ないが、「範囲」という単位を見ると、かなり多くの人びとへ快をもたらすことができる。
「快楽計算」の結果にそのまま従うのであれば、行為Cのほうが選ぶべき〝正しく善い行為〟となる。
しかし、こうした選択は、個人の幸福を促進することはあっても、必ずしも社会全体の幸福を促進することにはならないのではないか?

社会全体の幸福に寄与することを促す命令は、「功利性の原理」には含まれていない。
「快楽計算」のなかの「範囲」という単位が他の単位よりも優位に位置づけられているわけではない。
しかし、ベンサムは、『道徳および立法の諸原理序説』(『世界の名著 49 ベンサム/J.S.ミル』に所収)という著作のなかで、「功利性の原理」を「最大幸福の原理」とも呼び、統治の唯一の正しい目的が「最大多数の最大幸福」であると語っている。

実は、ベンサムは、社会は個々人から構成されているのだから、その社会のメンバーであるひとりひとりがそれぞれの快=幸福を追求すれば、その合計がそのまま社会全体の幸福になると考えたのである。
そして、この目的を達するために、統治者は理性と法によって多くの国民により大きな幸福が平等にもたらされるように立法し、統治すべきであると唱えたのであった。

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