QLOMAGA[クロマガ]|哲学系情報マガジン

エトムント・フッサール(Edmund Husserl、1859-1938)は、オーストリア領で生まれ、ドイツで活躍した哲学者で、「現象学」の哲学を打ち立てた。
彼の現象学の目的は、自然や世界だけでなく、人間の心ですら対象(モノ)として捉えようとする近代の認識論や心理学に対して、人間の生きた心のあり方に即して認識を解明することにあった。

私たちは日頃、見聞したものをそのまま受け入れ、疑うことはない。
つまり、自分の外部にモノがあるということを素朴に信じている。
フッサールは、私たちのこうした認識のあり方を「自然的態度」と呼んだ。

フッサールは、物事の本質を見極めるためには、この自然的態度を「超越論的態度」へ変える必要があると考えた。
そのために行なうのが「現象学的還元」という操作である。
これは、自然的態度による判断をいったん中止(「エポケー」)し、〝そこにモノがある〟という客観的な世界像を「括弧(かっこ)に入れる」ことである。
たとえば、〝目の前にイチゴがあるから、赤くてツヤツヤした丸っこいモノが見える〟という捉え方をいったんエポケーし、〝赤くてツヤツヤした丸っこいモノが見えるから、目の前にイチゴがあると認識(確信)する〟と捉えるのである。
すると、〝そこにモノがある〟という確信は、意識(主観)という場において体験が連なるなかで成り立つことがわかる。

ところで、「赤くてツヤツヤした丸っこいモノ」はイチゴだけに限られない。
リンゴやトマトもそうである。
なのに、イチゴを見たとき、誰もがそれを「イチゴだ」と認識することができる。
リンゴやトマトと間違わない。
なぜか?
それは、意識においてイチゴに共通する性質=本質を観て取っているからである。
この働きのことを、フッサールは「本質直観」(本質観取)と呼んだ。

ところで、フッサールによれば、意識は必ずある対象に向けられているという。
このあり方を「志向性」と呼ぶ。
そのため、何かを認識するということは、意識が志向性によって対象を捉えるということであり、捉えられた対象はあくまでも意識のなかに生じるのである。
つまり、意識には、対象を捉えようとする能動的な側面と、その作用によって像が構成されるという受動的側面があるのだ。
フッサールは、前者の側面を「ノエシス」と呼び、後者の側面を「ノエマ」と呼んだ。
従来の認識論における主観と客観が、現象学においては、ノエシスとノエマに置き換えられたのである。

ブックガイド

現象学入門』(竹田青嗣 著)
▼ただでさえ難解な現象学をもっともわかりやすく解説した入門書と言えば、本書の右に出る書はないであろう。現象学がどのような方法でどんなことを解明しようとしたのかが明快に述べられている。

これが現象学だ』(谷徹 著)
▼『現象学入門』の次にわかりやすいのが本書だ。『現象学入門』に比べれば専門的に書かれているが、具体例が豊富なため、「エポケー」「還元」「志向性」といったフッサール独自の術語の意味や思考法がよく理解できる。

超読解! はじめてのフッサール『現象学の理念』』(竹田青嗣 著)
▼何を隠そう、私は大学時代、ピヨピヨの哲学初心者であるにもかかわらず、誰の(何の解説書の)助けを借りることもなく、フッサールの『イデーン』とハイデガーの『存在と時間』を読み始めた。結果は〝遭難〟(笑)。このとき、哲学書を読むには必ず助けが必要だということを思い知った。『現象学の理念』は、完成された主著『イデーン』よりも出版時期が早いため、まだ未完成な部分がある。しかし、それでもフッサール自身の問題意識や現象学の基本的な思考は充分に読み取れる。本書は、その『現象学の理念』を読むときの最良の助けになってくれるはずだ。