QLOMAGA[クロマガ]|哲学系情報マガジン

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844-1900)は、父がルター派の牧師で、敬虔な家庭のなかで育った。
そのため、キリスト教道徳が説く誠実さを身につけたが、この徳に忠実だったニーチェは、逆にキリスト教道徳のウソを明るみにしたのだった。

ニーチェによれば、キリスト教道徳は、弱い者が現実の苦しみから逃れるための虚構にしかすぎないという。
たとえば、キリスト教は、「貧しき者は幸いである」とか「富める者が天国へ行くのはむずかしい」と説く。
そして、キリストを信じる者は、今この世では救われなくても、最後の審判によって、天国で永遠の生を得られるのだと言う。
しかし、これは、現実世界では服従するしかない「強者」(支配者=ローマ人)に対して、虐げられてきた「弱者」(被支配者=ユダヤ人)が、その立場を逆転させようと空想世界でつくりあげた復讐の物語である。
つまり、キリスト教道徳は、強者をはねのけることができず現実を受け入れられない弱者の恨み(怨念)=「ルサンチマン」にもとづく「奴隷道徳」だと、ニーチェは言ったのである。

キリスト教道徳が虚構であれば、それまで価値があるとされていたことの価値はなくなる。
そして、人びとの生きる目的や生きがいは失われる。
こうした状態をニーチェは「ニヒリズム」(虚無主義)と呼んだが、彼が生きた19世紀は、まさに、そのニヒリズムの時代であった。

では、ニヒリズムを克服するためには何が必要か?
ニヒリズムは、キリスト教会が、本来は誰も立つことができない〝神の視点〟から道徳をでっちあげたことから起きた。
そうであれば、「神は死んだ」(誰も〝神の視点〟には立てない)ことを認め、新しい価値を創造していくしかない——
この新しい価値を創造する者を、ニーチェは「超人」と呼んだ。

超人は、より強くあろうとする「力への意志」に忠実で、超越的な価値に頼ることなく自力で生き、自身の生を肯定する存在である。
そのため、超人は、寸分たがわず何度も同じ人生が繰り返される「永遠回帰」に対して、「これが人生か、さればもう一度」と受け入れることができる。

ニーチェによれば、永遠回帰は、キリスト教の終末観に対するアンチテーゼであり、「ニヒリズムの極限形式」なのだが、これを否定することなく肯定できるのは、永遠回帰という必然を引き受ける「勇気」によるという。
そして、この「勇気」による必然の引き受けを、ニーチェは「運命愛」と呼んだのであった。

なお、キルケゴール同様、ニーチェも、実存主義の哲学者たちに大きな影響を与えた。

ブックガイド

ニーチェはこう考えた』(石川輝吉 著)
▼文章がとにかく平易。それでいて、ニーチェ哲学の核心をきっちりと学べる。ニーチェがどのように自身の哲学を発展させていったのかがよくわかるし、「ルサンチマン」「永遠回帰」「超人」といったニーチェ独特の用語が何を意味するのか、読んだ人なら誰もが納得するはず。

ニーチェ』(貫成人 著)
▼『ニーチェはこう考えた』よりは少しアカデミックになるが、それでも断然読みやすい。予備知識のない中高生でも通読できる。むずかしすぎず、それでいてそこそこ詳しい良質な入門書だ。

善悪の彼岸
▼ニーチェの著作を初めて読むのであれば、その哲学が完成した後期作品からがよいだろう。この『善悪の彼岸』では、なぜ「奴隷道徳」が生まれたのかについて書かれている。光文社古典新訳文庫版になって、奇跡的に読みやすくなった。

道徳の系譜学
▼『善悪の彼岸』同様、「貴族道徳」「奴隷道徳」が扱われ、さらに、「力への意志」「禁欲主義的理想」が論じられている。ニーチェの後期作品で、代表作と位置づけられている。