QLOMAGA[クロマガ]|哲学系情報マガジン

「倫理学のキホン」のなかの「【徳倫理学】現代における展開(3):フット」で、「トロッコ問題」という名前を挙げたけれども、その内容については触れなかったので、ここで紹介したい。

トロッコ問題」もしくは「路面電車問題」(trolley problem)と呼ばれるこの問題は、〝ある人を助けるために他の人を犠牲にすることは許されるか?〟という倫理的なジレンマについて考えるための思考実験である。
イギリスの哲学者・倫理学者であるフィリッパ・フットが提起した(1967)。
概要は、こうだ——

コントロール不能になった路面電車(トロッコ)が線路を暴走している。
このまま暴走すると、前方にいる線路上の5人の作業員を轢(ひ)き殺してしまう。
この5人は、谷間にいるため、そこから逃げることができない。
一方、その5人の手前には分岐があり、路面電車の進行方向を変えることができる。
ところが、この別の線路の先には作業員が1人いて、そちらへ進行方向を変えれば、その1人を確実に轢き殺してしまうことになる。
この路面電車の運転手は、どちらの選択肢を選ぶべきか?


この問題は、私がもうずいぶん昔に担当した「倫理学」の授業で取り上げたことがある。
そのとき、学生たちに質問したら、〝犠牲者の数は1人でも少ないほうがいいから、5人を助けるために電車の進行方向を変え、1人が犠牲になるほうを選ぶべきだ〟と答えた学生が圧倒的に多かった。
ところが、その同じ学生たちに、今度はちょっと設定を変えて、〝暴走する路面電車の進行方向を変える分岐装置の前にあなたがいて、その操作をあなた自身ができるとしたら、あなたはやはり電車の進行方向を変えるか?〟と質問したところ、〝やはりそうする〟と答えた学生の数は、たしか3分の2くらいに減った。
前者の質問で〝進行方向を変えるべき〟と答えたのに、後者の質問でそうは答えなかった学生は、何もしなければ自分が当事者にならなくてもすむのに、わざわざ当事者になる選択をすることを嫌がったようだ。
同じ問題でも、当事者であるかどうかによって、あるいは置かれた状況の違いによって、選択の基準や評価が変わってくるということだろう。
なお、後者の質問の設定は、アメリカの哲学者ジュディス・ジャーヴィス・トムソンが提起したものである(1985)。

この「トロッコ問題」は、他にもさまざまなバリエーションが考えられ、数多く議論されてきた。
マイケル・サンデル教授を有名にしたNHKの「ハーバード白熱教室」という番組の冒頭で紹介され、より広く知られるようになった。
しかし、この問題は、あまりに現実離れしている。
非現実的な設定であるため、考えることをたんに楽しむがための思考ゲームのように扱われそうだ。
そのため、〝まじめに考える意味はあるのか?〟という批判が起きた。

問題提起したフットの意図は何だったのか?
フットがこの思考実験を公表したのは、「中絶の問題と二重結果論」(1967)という論文においてであった。
カトリックでは人工妊娠中絶が禁じられているが、もしも妊婦が子宮を摘出しなければいけない病気の場合、摘出は許されるのだろうか?
子宮を摘出すれば、妊婦の命は助かるが、胎児は死ぬ。
これは、中絶と同じように〝悪い行為〟なのであろうか?
「トロッコ問題」は、こうした問題を考えるための格好の〝練習台〟なのである。

ちなみに、「トロッコ問題」について詳しく知りたいという方は、『「正義」は決められるのか?』を読むとよいであろう。
5人を助けるために1人を〝殺した〟女性を裁判にかけ、判決を下すというドラマ仕立てになっていて、読みやすい。