QLOMAGA[クロマガ]|哲学系情報マガジン

当サイトのなかの「西洋哲学史のキホン」は、「近代哲学」までしか扱っていない。
それ以降の、今へと続く、「現代哲学」や「現代思想」と呼ばれる知の営みは扱わない。
なぜか——?
それは、「西洋哲学史」という名前でくくることができるのは近代哲学までだと考えるからである。

〝最初の哲学者〟タレスは、変化する自然現象の奥に、その現象を根底で支える「水」という原理(アルケー)を〝発見〟した。
「知恵の探究」としての哲学を始めたソクラテスは、正義や勇気や友情がどういうものであるか、その〝正解〟があると信じ、言葉で言い当てようとした。
デカルトやヘーゲルは、人間の精神は神のように〝世界の本当の姿〟を捉えることができると確信した。
カントは、人間の理性が〝世界の本当の姿〟を言い当てることはできなくとも、実践によって〝本物〟と関わることができると語った。
こうした哲学者たちに共通しているのは、われわれが住んでいる世界の奥には〝正解〟や〝本物〟があり、それを言葉で言い当てたり、基準にして生きたりすることができるという(暗黙の)前提である。
つまり、この世界の中か外には、言い当てるべき、あるいはめざすべき〝唯一の真理〟(の世界)があるということだ。

しかし、「現代哲学」や「現代思想」と総括される知の営みにおいては、〝本物〟や〝正解〟=〝唯一の真理〟を言い当てたり、めざしたりすることはなくなる。
というより、そうした哲学のあり方は批判され、葬り去られた。
たとえば、ニーチェは、キリスト教を厳しく批判し、言い当てるべき、あるいはめざすべき〝真理〟はないと断言した。
フッサールは、哲学者によって唱えられる〝真理〟がさまざまに異なる事態のなかに、〝真理〟を言い当てるという営み自体の不可能性を明らかにした。
また、ウィトゲンシュタインは、〝正しく言語を用いれば現実を正しく認識することができる〟という考え方を深く疑い、その無根拠性を示した。
一方、ソシュールやマルクス、フロイトを批判的に継承した「構造主義」は、現象の奥の〝見えない構造〟を描き出そうとした点で、〝世界の本当の姿〟を言い当てようとした従来の哲学のスタンスを受け継いでいるかのように見える。
しかし、従来の哲学が〝唯一の真理(原理)〟を示そうとしたのに対し、「構造主義」の哲学者たちは、婚姻の隠された構造を明らかにしたり(レヴィ=ストロース)、現代社会におけるファッションの流行の構造を明らかにしたり(バルト)、人間の無意識が言語と同じような構造を備えていることを唱えたり(ラカン)して、社会のなかのさまざまな構造を取り出し、そのことによって、ある哲学が〝唯一の真理〟となる=イデオロギー化するのを防いだのである。
そして、その構造主義はさらに、ニーチェの影響を強く受けた「ポスト構造主義」(デリダ、フーコー、ドゥルーズら)によって乗り越えられていった。

このように、「現代哲学(現代思想)」は近代までの哲学が前提していた〝唯一の真理〟を捨て、新しいスタンスをとるようになった。
こうした見方こそが、「現代哲学(現代思想)」を「西洋哲学史」という一語でくくることができない大きな理由である。

それでは、「現代哲学(現代思想)」はいったいどのような知の営みなのであろうか?
それについて紹介するのが、このカテゴリーの役目の1つなのである。